鉄腕アトム&ブラック・ジャック像/西武線ドラえもん電車/劇画・オバQ等【2021年4月】
いよいよ新年度!
さて、先月私は手塚治虫関連の像を2種類も見てきました
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アトム像は埼玉県の飯能市の飯能中央公園にあります。 こちら! 1983年に作られたこちらのアトム像。お披露目された時には手塚先生もご一緒だったみたいです。 この時の様子を最近手塚治虫公式サイトで『虫さんぽ(再録)』として紹介されていました。↓ こちらから引用させていただくと、、(「」内の発言は虫プロの元社員でフリー編集者として手塚番もされ、現在は飯能で野口種苗研究所をやられている野口勲さんのものです。) 「このアトム像が立てられた1983年というのは、飯能市青年会議所10周年の年でして、当時、副理事長をしていた私が、記念事業の一環として提案したものだったんです」 (中略) アトム像を見た手塚先生の感想はどうでしたか? ……そう、これは世界で唯一の鉄腕アトム像なのです。。。 が、他にも鉄腕アトム像というのは手塚先生の死後、何個か作られており、手塚先生の母校でもある大阪教育大学附属池田小学校や西武池袋線の大泉学園駅なんかにもあります… それはともかく、で、野口さんと手塚先生の間にもう一ついいお話が。 「ちなみに、完成当時の像と現在の像には1ヶ所違いがあるんですが、どこだか分かりますか?」 いいお話…😊 そして、アトムの足元にはこんな言葉が。 人と人 人と自然 人と機械 が いつまでも 仲の良い ともだちで ありますように お次は、ブラック・ジャックとピノコの像!こちらは最近、東久留米駅前に作られました。 こちらです。 ブラック・ジャックなんて像にするのは至難の業だと思うのですが、見事な出来に感服! 手塚先生は晩年をこの東久留米市で過ごされました。それもあり、今回像の設置行われた模様です。市内にはブラック・ジャックなどをデザインしたマンホールもあるそう。 ちなみにこの像は手塚治虫先生の実の息子さんである手塚眞さんが監修されたそうで。どうりで完成度が高いなと……! 各メディアも伝えてました♪ ↓このサイトには市長と市商工会会長、そして手塚先生の実の息子である手塚眞さんも。 ここの記事から引用させていただきますと… 東久留米市の並木克巳市長、東久留米市商工会の井田清治会長、手塚さんの子息で映像作家の手塚眞さんの3人が午後1時過ぎに赤いロープを引くと、覆っていた黒布が落ちてブラック・ジャックとピノコの像が現れた。コートを羽織ったブラック・ジャック像は高さ175センチ、小柄なピノコは70センチ。手塚眞さんが監修した等身大の2人が陽光を浴びていた。 この像は東久留米市の市制施行50周年記念事業の一つとして、市商工会が東京都の「アニメ等コンテンツを活用した誘客促進事業費補助金」を活用し、NPO法人「東久留米みんなの夢広場」の募金協力などを得て建造した。 除幕の後、商工会の井田会長がまずあいさつし、「すばらしい銅像ができました。これを機会にコロナ禍のなか、まちの活性化につながり、発展していければと思います」と述べた。 手塚眞さんは「東久留米市は父が晩年に暮らした、思い入れのある地です。そこにこうして父の作品を像として残せてとてもうれしい。ブラックジャックは命の象徴のキャラクターです。東久留米から世界の人びとの健康に向けて、ブラック・ジャックの思いが広がるといいと思います」と話した。 主人公のブラック・ジャックは無免許ながら、ピノコらの協力を得て、天才的なメスさばきで多くの患者の命を救う外科医の物語。並木市長は「ブラック・ジャックはお医者さんなので(東久留米市の)医師会のみなさんからも銅像の件は快諾していただいた」と前置きしながら、「この像はコロナ感染防止の最前線でがんばっている医療従事者のみななんへのエールになるのではないか」と述べ、「コロナ終息後は、東久留米市の観光資源となり、地域産業の活性化につながるよう努力したい」と語った。 ブラック・ジャックは175cmでピノコは70cm!なんですね。 市長の発言にありましたが、地元の医師会が快諾したというにはブラック・ジャックからしたら嫌だろうなーと…😅 でもコロナ禍の中、医療従事者の方へのエールとしても発信しているみたいですね。 それにしてもなかなか像の完成度が高いので愕きました。皆さんもお近くに行かれたら是非! また西武線ですね…😅 これは出来事としてはだいぶ前なので3月の記事に書くべきだったか…?という感じですが、一応載せておきます。 いいデザインです。 この時は広告がSTAND BY MEドラえもん2の広告ジャックが! 席の脇にいるドラえもんがかわいい! そして、車両間のドアはどこでもドア! 貼ってある注意書きも楽しい。 席がこんな感じです! 中吊りやニュースでも目に。 現在も運行中です。詳しくは公式HPへ。 先日、予約していたTSUTAYA限定のドラえもんグッズを受け取りに行きました!! 既にドラえもん限定グッズはいくつか購入済みですが、予約していたスライドカードケースは特に楽しみにしていました! それがこちら! このままでは何なので、色々カードを入れてみたり😁 そして! 先日、朝日毎日読売産経の新聞にある1面広告が載りました🗞。 それがこちら! ドラえもんサステナモードという事で、「服のチカラで、未来を変える。」とある他、 『未来なんて、ちょっとしたことで どんどん変えていけるんだから。』ともあります。 この言葉、どこかで聞いたことがあるなーと思い『ドラことば』を引いてみると… 有りました。てんとう虫コミックス第12巻の112ページ。 『あいあいパラソル』にて、ドラえもんがのび太としずかちゃんの結婚なんかについて、こう言ってます。 『未来なんてちょっとしたはずみでどんどん変わるから。』 これだとなんだかマイナスなので言い方を変えて新しいプロジェクトを始めたのですね♪ UNIQLOは、地球への負荷を減らすことをテーマに、2050年にCO2排出量をゼロにする目標や、リユース・リサイクル・リデュースを掲げた「リ・ユニクロ」という取り組みを掲げているようです。CSRってやつですかね! ↓公式HP ↓ハフポスト NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明スペシャル』に手塚治虫先生が! 先日、非常に盛り上がっていたNHKの番組、『プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明スペシャル』にて、手塚先生が一瞬映ってました!😄 面白かった 庵野秀明監督は『風の谷のナウシカ』や『王位宇宙軍 オネアミスの翼』などで作画等を行い、『エヴァンゲリオンシリーズ』、『シン・ゴジラ』の監督をされた方で新作の『シン・エヴァンゲリオン』は今も注目を集めていますよね。 特に風の谷のナウシカの例の爆破シーンはすごかったですね。 元々ここで高く評価されて宮崎監督や鈴木プロデューサーは『風立ちぬ』なんかでも庵野監督を主人公の声に充てるなんていうこともされてますよね。 番組は非常に興味深い内容が連続していましてあっという間の1時間強でした… その中でも、少し気になったのが、庵野監督は父親が足に障碍があり、そんな父親を肯定したかったのか、横山光輝先生原作のアニメで昭和アニメ黎明期に大ヒットし手塚先生の『鉄腕アトム』と人気を二分した『鉄人28号』に夢中になったというところです。 たしかに、鉄人28号は戦っては腕や足を無くして帰っていくというシーンが多いです。 少し気になったのは、当時のアニメーション(特に手塚先生周辺ですが、)は宮崎駿監督らは割と否定的で動かないアニメーション(おそらく鉄人28号然り)に反発していましたが、そんなアニメーションに影響を受けた庵野秀明監督が駆け出しの頃ジブリの映画に参加するというのには少し興味をそそりました。 しかしながら、庵野監督は自身の映画、『エヴァンゲリオン』のシリーズにも見られるように構図を意識して、一つの絵画のような状態で動かさずに表現するという手法をとっていることが多いです。 それが庵野秀明監督作品の特徴でもありますが、ジブリは動かないシーンについては絶対作らない。宮崎駿監督よりもすこし実験的な高畑勲監督なんかはされたりもしていますが…… 最近のアニメーションの傾向として見られるのは、必ずしも風景や人を目で見たように描かないという点が挙げられます。細田守監督も然り、新海誠監督然り、、、背景なんかは人間が記憶という行為を通し新たに生まれ変わった"記憶の中"での情景を描いているものです。 高畑勲監督は非常に芸術家的で、それをアニメーションのタッチや描き方を根本的に変えて表現したとも言えます。ただ、それは1コマ1コマに対して美しさを求めているのであって写実性を否定している点では先述の監督方と同じかもしれませんが、少し違います。 そう考えると庵野秀明監督は異端です。 何本か実写の監督もされているぐらいですから、庵野監督は独自の世界観をアニメーションに留まらず表現できる人です。それが本意なのかは別にして、最近のアニメーション監督と比較すると本当にズバ抜けて変わった人です。(いい意味で) 話が大分逸れてしまいましたが、、で、手塚先生も庵野監督の絵を見て舌を巻いたと!プロフェッショナルでは紹介されていました。なかなか手塚治虫先生と庵野秀明監督の接点はないので割と貴重なお話です。 さて、今月の1冊…というかお話は… 『劇画・オバQ』です。 みなさんご存知の藤子不二雄先生原作(藤本弘先生と安孫子素雄先生の共作、正確にはスタジオゼロのメンバーであった石ノ森章太郎先生や赤塚不二夫先生、つのだじろう先生も‘オバQ’時代は参加。)の『オバケのQ太郎』及び、藤子・F・不二雄選手の『新オバケのQ太郎』の外伝ともいうべき作品でしょうか。 この作品は『オバQ』や『新オバQ』のギャグテイストではなく、その正反対で、リアリズムを追求した究極の哀愁漂う作品となっています。 ネタバレ注意です。 舞台は物語から15年後。オバケ学校を卒業したQ太郎は父・X蔵のコネでオバケ銀行への就職が内定したなど大人に近づいているが、面白い事はないかと再び人間界に降り立つ。すると、大原正太(=正ちゃん)に出会い、自宅に招待される。正ちゃんはすでに結婚もしていた。また、正ちゃんはその頃、脱サラをハカセから勧められ、新事業への参加を求められていた(ただ、後述の同窓会でゴジラ曰くハカセは頭はいいが、事業は失敗ばかり)。 昼間に散歩をしているとゴジラに出会う。今夜昔の仲間で呑もうと誘われ、その夜、小泉美子(よっちゃん、2児のママに)、木佐キザ男、西郷強(ゴジラ、乾物屋の店主に)ハカセ、そしてQちゃんと正ちゃんという懐かしい顔が揃い、宴会を開く。ハカセは『オバケのQ太郎』の『オバQ王国』に出てきた『Q』と書かれた旗を取り出す。(尚、この旗はこの作品のために追加された設定である) 酔ったハカセは、「なんで子供の頃の夢を奪われなければならないんだ」と持論を展開。脱サラを誘われていた正ちゃんは、ハカセの言葉に心を動かされ、脱サラを決意。それに他の友達も参加したいと言い出し、Qちゃんはじめ、昔を共にした友達で再集結しようと約束する。 翌朝、Qちゃんは興奮したまま正ちゃんに対して奥さんに昨晩の話をするよう勧め、正ちゃんは奥さんにその話をしようとするが、奥さんが先に報告があると言い、「子どもができた」と告げられる。 正ちゃんは喜び、これからさらに頑張らなければと張り切ってそのまま会社に行ってしまう。それを見たQちゃんはただ1人で、「正ちゃんにも子どもがね…」と呟き、誰にも告げずオバケの世界へ戻ってしまう。その後ろにはハカセの持っていた『Q』と書かれた旗が風に飛ばされていた… 藤子・F・不二雄先生はこの作品に関して、マージョリー・キナンの小説である『小鹿物語』からヒントを得たとされています。野生の子鹿(=Q太郎)と少年(=大原正太)が仲良く過ごし、やがて決別するまでを描いた作品です。 当時連載されたのは1973年ですから、劇画ブームの終わりに近い頃です。 これまで藤子・F・不二雄先生が描かれていた児童向けマンガが逆境を迎えていた、そんな時期です。そんな藤子・F・不二雄先生がここまで悲しすぎる作品を描かれたのはどういう意図か。 一種のパロディでもある本作ですが、子供の頃の輝いていた時代は大人になってしまった自分達の手ではもう取り戻すことはできない…という、あまりにも現実的なストーリーです。子供向けのマンガやアニメを作ってこられた方々は子供の時の心を忘れていない、子どもが大人になるに連れて失ってしまう何かを持っている、なんて思われそうですが、そんなことはないと… 実際、藤子・F・不二雄先生が子供漫画に行き詰まりを感じていたかは定かではありませんが、自分達が描いてきた作品を読んでいた人たちはもう既に立派な社会人になってしまっていることへの複雑な思いなのかもしれません。 そんにな中でも特に印象的な宴会のシーン。 ここでは『オバケのQ太郎』の「オバQ王国」という作品のコマが一部引用されています。 よく見ると“Q”の旗が加筆されていますよね。この旗が最後にヒラヒラと風に飛ばされているところがなんともいえない哀愁を誘います。 この「オバQ王国」は『少年サンデー』の1966年7月31日号に掲載されました。 当時の少年サンデーといえば、やはり『オバケのQ太郎』か赤塚不二夫先生の『おそ松くん』の2択。 どちらが当時の表紙かな?と思いましたが、なんと家にあったので画像を貼っておきます。 で、なんと、、手塚先生の『バンパイヤ』が表紙でした😁 これにこのお話が載っています。 3月の出来事
アトム像とブラック・ジャック&ピノコ像!
でも、今でこそ日本各地にアニメやマンガのキャラクターの像が立っていますが、当時はかなり珍しいことだったのでは?
「そうなんですよ。どこにも前例がなかったし、そもそも何でアトムなんだと、もっと飯能にふさわしいものがあるんじゃないかと、さんざん言われました。けれども、当時から飯能市周辺には有名なマンガ家さんが何人か住んでおられましたし、マンガは大人から子どもまで、幅広い世代に受け入れられる文化だということを強調して説得しました。
予算の300万円は『まんがフェスティバル』というイベントを開いて捻出しました。このイベントの目玉が、マンガ家の色紙オークションでした。昔の仕事のツテをたどってマンガ家の先生方にコンタクトを取り、企画に賛同してくださった先生からサイン色紙を提供していただいたんです。それを会場でオークションにかけて売ったんです。坂口尚先生、寺沢武一先生、和田慎二先生、萩尾望都先生など、多くのマンガ家が協力してくれました。本当にありがたかったですね。
このイベントは1981年、1982年と2年間続けて開催し、2年目には手塚先生も出席してくださいました。先生はその場であっという間に100枚くらいの色紙を描いてくださって、これは寄付をしてくださった方に抽選でプレゼントしました」
こうして企画から3年目の1983年5月29日、ついにアトム像は除幕式の日を迎えたのでした。
「立派なものが出来たと、とても喜んでくださいました。除幕式の日はもうずっと目を細めてニコニコしていらっしゃいましたね。
その後、手塚先生のところには、他の場所からも「アトム像を立てたい」という話が何度もあったそうですが、先生はその都度、「アトム像なら飯能にありますから、あれだけで充分です」と言って断られたそうです」
なるほど、それで像の横のプレートには『世界で唯一の銅像です』と書いてあるんですね!
えーっ、と当時の写真と今の像を見くらべてみると、分かりました。台座の正面の『鉄腕アトム 手塚治虫』と書かれた銅製のプレート。これが完成当初は付いていなかったんですね! でも、どうしてですか?
「実は予算が足りなくなっちゃって付けられなかったんです。その話を、除幕式の後の帰りの車内で手塚先生に話したら、先生が、除幕式の前に行なった講演の謝礼の封筒をスッと差し出しましてね、「これ使ってください」とおっしゃるんです。もう、ほんとにありがたくて涙が出ました」
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今月の1冊
作品概要
このマンガはフジテレビ系の『トリビアの泉』でも紹介され、「91へぇ」を獲得。その放送回で最多となったそうです。あらすじ
Q太郎は居候していた時のように正ちゃんと遊んだり、話したり、ご飯をたくさん食べたり…この時、神成さんが亡くなっていることや、正ちゃんの父親の正助は定年退職後に帰郷したこと、兄の伸一は仕事の都合で北海道に転勤したことなどが明らかにされている。しかし、残業続きの正ちゃんはそれにずっと付き合うこともできず、正ちゃんの奥さんからもQちゃんの大食いに困るなど徐々にQちゃんは人間の世界や周辺の人たちの変わり具合に気づいていく。
考察
4月の予定
は省略させていただきます😅
何せ新年度ですので多くのイベントがあるみたいなので…
Twitter始めました
遅くなりましたが、やっと、Twitterを始めました。よろしければフォローよろしくお願いいたします。
なお、Twitterでは藤子不二雄両先生や手塚先生に限らず、映画や音楽など自分の趣味についてもツイートしております。
1ヶ月に1回更新しております。(4月はまだですが…😅)
— ヒゲオヤジ (@Higeoyaji_ymo) 2021年4月2日
よろしくお願い致します!https://t.co/faxCyOEtIx
https://t.co/NGtUap93ND pic.twitter.com/crR1fzaEkU
— ヒゲオヤジ (@Higeoyaji_ymo) 2021年4月2日
4月7日、今日はアトムの誕生日です!!お誕生日おめでとう🎉アトム! pic.twitter.com/FFv3frlZK9
— ヒゲオヤジ (@Higeoyaji_ymo) 2021年4月7日
「漫画家を目指すんだったら、漫画で勉強しなさんな。いい映画をたくさん観(み)なさい。いい小説をたくさん読みなさい。いい音楽をたくさん聴きなさい」。手塚治虫→松谷社長「手塚本人の体験もあって、言いたかった言葉だったのでは」https://t.co/LDrPnLozwc
— ヒゲオヤジ (@Higeoyaji_ymo) 2021年4月4日
それにしても、今度の #トキワ荘マンガミュージアム の企画展のグッズが秀逸すぎる。https://t.co/ywO0lNeHHV
— ヒゲオヤジ (@Higeoyaji_ymo) 2021年4月4日
プレミア公開中。『鉄腕アトム』17話〜20話(1980年)https://t.co/bnhbfhrfKx
— ヒゲオヤジ (@Higeoyaji_ymo) 2021年4月5日